自然と次が立ち上がる

もうすぐ2才になる孫を見ていると、不思議なことに気づく。昨日できなかったことが、今日はできるようになっている。

少し前までは歩くだけで精一杯だったのに、今は走り回る。言葉も日に日に増え、人の真似をしたり、自分の意思を伝えようとしたりする。誰かに「頑張りなさい」と言われたわけでもないのに、次から次へと新しいことに挑戦している。その姿を見ていて、ふと思った。

生命は、「自然と次が立ち上がる」ように設計されているのではないか。

私たち大人は、つい人生を「積み上げるもの」だと考えてしまう。努力する。計画する。目標を立てる。もっと成長しようとする。もちろん、それらは大切なことだ。しかし2才の子どもを見ていると、それよりもっと根本にあるものが見えてくる。

安心して眠る。安心して食べる。安心して遊ぶ。安心して甘える。

そんな毎日があるからこそ、好奇心が自然と湧き上がり、「やってみたい」が立ち上がる。生命は、意志で動いているというより、整った状態から自然に動き始めているように見えるのである。

振り返れば、卒サラ後の私自身も同じだった。時間に追われる生活から離れ、睡眠を整え、身体を整え、生活を整えた。すると、不思議なことに、「本を書こう」と決意したわけではないのに、少しずつ言葉が立ち上がってきた。

書くことが目的だったのではない。土台を整えた結果として、書きたいことが自然と姿を現したのである。

植物も同じだ。家庭菜園をしていた頃、一番大切だったのは肥料ではなかった。土づくりだった。土が整えば、植物は自分の力で芽を出し、育っていく。人間もまた、それほど違わないのかもしれない。

人生も、仕事も、創造も、「頑張って積み上げる」ものというより、「土台が整えば、自然と次が立ち上がる」ものなのではないだろうか。

孫を見ていると、そのことを毎日のように教えられる。まだ人生論など知らない。目標管理も知らない。自己啓発書も読んでいない。それでも生命は、自ら育とうとしている。その姿は、人間という生命体が本来どのように設計されているのかを、静かに教えてくれているように思う。

年齢を重ねると、私たちは新しい知識を求めることが多くなる。しかし、ときには未来を見るよりも、目の前の2才の子どもを観察するほうが、人間について多くのことを学べるのかもしれない。

生命の設計思想は、本の中ではなく、今日も目の前で静かに立ち上がっているのである。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。移動販売-郵便局-知人宅-ゴミ捨て。昼寝。庭整備。夕食。執筆。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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