本丸?

AIが迫っているのは、本当に人間の「本丸」なのか?

生成AIが登場して以来、「AIは人間の仕事を奪うのではないか」「やがて人間より賢くなるのではないか」という議論が続いている。

その不安の根底には、ひとつの人間観があるように思う。人間は、思考こそ自分たちの「本丸」だと思っている。人間は考える動物である。言葉を使い、論理を組み立て、未来を予測し、計画を立てる。文章を書き、計算し、研究し、芸術を生み出し、文明を築いてきた。こうした能力こそ、人間を人間たらしめているものだと、私たちは考えてきた。

だからこそ、生成AIの登場には衝撃があった。

文章を書く。
要約する。
翻訳する。
分析する。
企画を考える。
質問に答える。
さらには、かなり複雑な推論まで行う。

これまで「人間にしかできない」と思っていた領域に、AIが急速に入ってきた。人間が慌てるのも無理はない。本丸に敵が迫ってきたように見えるからである。

しかし、私はAIと対話を重ねるうちに、逆のことを考えるようになった。AIが人間の本丸に迫っているのではない。 私たちが本丸だと思っていた場所が、実は本丸ではなかったのではないか。もしそうだとすれば、AIの登場によって問われているのは、AIの能力以上に、私たち自身の「人間観」なのである。

思考は、人間そのものなのか

私たちは「自分」を意識するとき、つい「考えている自分」を思い浮かべる。

昨日のことを思い出している私。
明日の予定を考えている私。
仕事について悩んでいる私。
人生について考えている私。

頭の中では、ほとんど絶え間なく言葉が動いている。そのため、「この頭の中で考えている私=私」と感じるのは、ごく自然なことである。しかし、人間という生命体を少し引いて眺めると、別の姿が見えてくる。

私たちは、考える以前に生きている。

呼吸している。
心臓が動いている。
お腹が空く。
眠くなる。
疲れる。
人に会えば安心したり、緊張したりする。
風に吹かれれば心地よいと感じる。
美しい風景を見れば、言葉になる前に何かを感じる。

これらの生命活動のほとんどは、私たちが意識的に考えなくても働いている。むしろ思考のほうが、その巨大な生命活動の上に乗っている。そう考えると、思考は人間という生命体の「本体」というより、生命体が現実をよりよく生きるために発達させた、非常に高度な補助機能なのではないか。

私は最近、思考を「ナビ」にたとえている。身体が現実を生きるドライバーであり、思考はそのドライバーを助けるナビである。

ナビは重要である。

現在地を確認し、過去の情報を参照し、少し先を予測し、進むべき方向を示してくれる。しかし、ナビそのものが旅をしているわけではない。現実の道路を走っているのは身体なのである。

思考は「現実」ではなく「地図」を扱っている

思考には、もうひとつ大きな特徴がある。思考は、現実そのものを扱っているわけではない。身体が現実から受け取った体験や、過去の記憶、他人から得た知識などを、言葉や概念によって編集し、頭の中に「地図」をつくっている。そして、その地図の上でシミュレーションを行う。

明日はどうしよう。
この人は何を考えているのだろう。
この選択をしたら何が起きるだろう。
十年後はどうなっているだろう。

身体は「今ここ」にしか存在できない。しかし思考は、過去へ行き、未来へ行き、まだ存在しない世界までつくることができる。この能力は、人類にとって途方もなく大きな力だった。未来を予測し、危険を避け、仲間と計画を共有し、道具をつくり、社会をつくり、文明を築くことができた。だから思考は、ますます重要になった。

そして、あまりに重要になった結果、いつの間にか私たちは、「ナビこそが自分である」と思うようになったのではないだろうか。

そこへAIが現れた

そこへ生成AIが登場した。興味深いことに、AIには人間のような身体がない。

風の心地よさを直接感じることもない。
温泉の温かさを味わうこともない。
空腹になることもない。
疲れて眠くなることもない。

AIが扱っているのは、人間が言葉や画像、数値などに変換して蓄積してきた情報である。つまりAIは、現実そのものを生命体として生きているわけではない。にもかかわらず、文章を書き、整理し、比較し、意味づけし、推論することができる。これは、何を意味するのだろう。

私はここに、AIという存在の面白さがあると思っている。AIは、人間の思考に似た働きを、身体から切り離して目の前に見せてくれた。その結果、これまで一体化していて見えなかった「思考」という機能の輪郭が、初めて見え始めたのである。いわば、AIは思考を映す鏡なのである。

AIが奪うのではなく、人間の本丸が見えてくる

そう考えると、AI時代の景色は少し違って見える。AIが文章を書けるからといって、人間が不要になるわけではない。AIが分析できるからといって、人間が考える必要がなくなるわけでもない。むしろ重要なのは、では、「人間は何をする存在なのか」という問いである。

現実と出会う。見る。聞く。触れる。感じる。そこから違和感や面白さを見つける。問いを持つ。試してみる。行動する。現実が変化する。そして、その変化を再び身体で受け取る。生命体は、この循環を繰り返しながら生きている。

思考は、その途中で地図を描き、方向を考えるために働いている。AIは、その地図づくりを強力に助けることができる。だとすれば、AIによって人間が追い出されるのではない。むしろ、これまで思考に占領されていた人間が、もう一度「現実」へ戻ることができるのかもしれない。

本丸だと思っていた場所は、本丸ではなかった

AIが人間以上に文章を書くようになればなるほど、不思議な逆転が起きる。私たちは、「では、人間とは何なのか」と考えざるを得なくなる。そして、その問いを突き詰めていくと、人間は「考える存在」である以前に、「生きている存在」であることに行き着く。

思考は重要である。

しかし、それは人間という生命体を支えるために進化した高度な補助機能なのかもしれない。だとすれば、AIの登場は、人間の本丸を脅かす事件ではない。

むしろ――

AIが人間の本丸に迫っているのではない。 AIの登場によって、私たちが本丸だと思っていた場所が、実は本丸ではなかったことが見え始めたのである。

AIという鏡をのぞき込んだとき、そこに映っているのはAIの未来だけではない。そこには、これまで見えにくかった「人間とは何か」が映り始めている。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。サイト運営。オイルうがい+白湯+ピラティス。朝食。執筆。昼食。執筆。阪神タイガース観戦。夕食。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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