これまで私は、1冊目の商業出版を目指してきた。原稿を書き、推敲し、出版社にも応募した。もちろん、今でも本として世の中に出したいという気持ちはある。しかし最近、少し考え方が変わってきた。まず5冊書こう。商業出版を考えるのは、その後でいい。そう思うようになった。
理由は、自分が書こうとしているものの全体像が、ようやく見えてきたからだ。第一期・全5冊。
第1冊は、生命体。人間を文明人としてではなく、身体を持つ生命体として捉え直す。
第2冊は、思考。生命体に載った思考という特殊な機能を考える。言語、世界モデル、自己モデル、常時思考、そしてAIへと広がっていく。
第3冊は、文明。人間が作った道具、貨幣、情報、組織、制度。それらが今度は人間自身をどう変えているのかを考える。
第4冊は、循環・螺旋。生命、生活、人生、世代、文明を、直線ではなく循環として捉えてみる。ただし、同じところを回るのではない。経験によって少しずつ位置を変えながら回る。だから螺旋である。
そして第5冊。『人間の取扱書』。ここで、1〜4冊をもう一度、日常生活へ戻したい。人間とは、どんな仕様の生命体なのか。
身体はどう扱えばいいのか。
思考とはどう付き合えばいいのか。
自己をどう扱えばいいのか。
文明をどう使えばいいのか。
人間関係をどう作ればいいのか。
時間をどう捉えればいいのか。
そして最終的には、この人間という生命体を、どう扱えば穏やかに面白く生きられるのか。そこまで行ってみたい。
こうして並べてみると、1〜4冊はそれぞれ独立した本であると同時に、5冊目を書くための探査でもある。生命体を調べる。思考を調べる。文明を調べる。循環を調べる。四方向から人間を眺めたあと、最後にもう一度、一人の人間へ戻ってくる。だから、5冊くらいがちょうどいい。最近、私はこれを「塊感」と考えるようになった。一冊では、まだ小さい。一冊を書き終えたところで商業出版を意識しすぎると、どうしても市場との対話が早く始まる。
誰向けの本なのか。
タイトルをもっとキャッチーにできないか。
もっと分かりやすい結論にできないか。
一言で言えば何の本なのか。
もちろん商業出版である以上、それは必要なことなのだろう。むしろプロの編集者が、その仕事をするのは当然である。しかし、今の私には少し早い気がしてきた。まだ、自分自身が何を考えているのかを掘っている途中だからだ。ここで市場に合わせすぎると、伝え方だけではなく、考える方向まで市場に引っ張られてしまうかもしれない。最近の出版物を眺めていると、タイトルや帯をかなりキャッチーにして、まず手に取ってもらおうとする工夫を強く感じることがある。それ自体を否定するつもりはない。出版市場が厳しくなれば、売るための工夫は当然必要になる。問題は、私がそれにどう向き合うかである。今の段階で、そのゲームに入る必要はないのではないか。むしろ先に、使い切れないくらいの材料を自分の側に持つ。
生命体。
身体。
思考。
自己。
世界モデル。
文明。
生活OS。
安心。
状態。
関係。
循環。
螺旋。
これらを5冊分、徹底的に考えてみる。重複してもいい。途中で考えが変わってもいい。矛盾が出てもいい。第4冊を書いている途中で、第1冊の間違いに気づくことだってあるだろう。そして第5冊まで行ったところで、もう一度、第1冊へ戻る。すると最初に書いた「生命体」の意味も、おそらく変わって見える。1→2→3→4→5→1。ここにも螺旋がある。そのとき初めて、私は結局、人間について何を考えてきたのだろう。と問えばいい。おそらく数十万字の原稿が手元にある。その段階なら、商業出版との付き合い方も変わる気がする。5冊をそのまま順番に出版する必要もない。1冊目を全面的に書き直してもいい。5冊目の『人間の取扱書』を最初に世に出してもいい。あるいは、5冊分の中から一本のテーマを切り出して、全く別の一冊を作ってもいい。つまり、一冊の原稿を出版社に評価してもらうのではなく、5冊分の思索の塊を持ったうえで、商業出版という仕組みをどう使うか考える。こちらの方が、今の私にはしっくりくる。
考えてみれば、私は出版そのものを目的にしているわけではなかった。還暦で会社員生活を終えてから、自分の生活を材料にして、人間というものを考え始めた。なぜ人は、意志だけではうまく動けないのか。なぜ身体は環境によってこれほど変わるのか。なぜ思考は、現実そのものより自己を見てしまうのか。なぜ人間は文明を作り、その文明によって逆に苦しくなるのか。なぜ人生は、直線として考えるより循環として考えた方が自然なのか。まだ答えは出ていない。だから、もう少し掘ってみたい。自分が死ぬまでに、人間というものをどこまで理解できるのか。そして、その理解を自分自身の生活でどこまで確かめられるのか。
第一期・全5冊。これは出版企画というより、しばらく続く私自身の研究プロジェクトなのだと思う。そして十分な「塊」になったところで、外を見る。そのときには、キャッチーなタイトルも、編集も、出版社も、マーケティングも、敵ではない。すべて道具になる。
商業出版に自分の思考を合わせるのではない。
自分の思考を十分な塊にしてから、商業出版を使う。
今は、その順番でいいと思っている。
【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。知人と昼食@飯田橋-お墓。2027年企画。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
