人間は「内外ふたつの環境」に住んでいる
人間は環境の中で生きている。そう言われれば、当たり前に聞こえる。気温、天候、自然、住居、都市、人間関係、会社、社会制度。普通、「環境」と言えば、自分の外側にあるものを思い浮かべる。しかし最近、人間について考えているうちに、少し違う見方をするようになった。人間は、外部環境だけでなく、巨大な「内部環境」の中にも住んでいるのではないか。そして、人間が複雑なのは、この二つの環境を同時に生きているからなのかもしれない。
身体は現実と直接接触している
まず身体がある。身体は、現実世界の中に置かれている。暑ければ汗をかく。寒ければ震える。坂道を歩けば心拍数が上がる。美味しいものを食べれば快を感じる。怖いものが近づけば身体が緊張する。ここには、必ずしも言葉は必要ない。人間という生命体は、思考する以前に、身体で現実と接触している。私はこれを、人間の一次ルートと考えている。
身体の奥では、いくつものOSが動いている
ところが、人間は単純に刺激へ反応しているだけではない。その刺激が「自分にとってどういう意味を持つのか」を、絶えず評価しているように見える。私は最近、それを三つのOSとして考えている。
ひとつ目が進化OS。安全か危険か。快か不快か。近づくべきか、離れるべきか。エネルギーを使うべきか、温存するべきか。生命体として非常に古い層である。
ふたつ目が関係OS。この人は信頼できるか。仲間なのか。自分は受け入れられているか。相手の期待に応えるべきか。人間が集団で生き延びてきた歴史が、この層に組み込まれているのだろう。
そして三つ目が文明OS。得か損か。成果が出るか。評価されるか。効率的か。お金はいくら増えるか。社会の中でどう位置づけられるか。人類史の中では比較的新しい層だが、現代人にとっては極めて強力なOSになっている。
その上で、思考が世界を編集する
そして人間には思考がある。思考は、目の前の現実だけを扱っているわけではない。記憶を呼び出す。未来を予測する。別の選択肢と比較する。意味をつける。言葉にする。まだ起きていない世界まで頭の中に作り出す。私は以前から、思考とは「編集者」のようなものではないかと考えてきた。身体が現実と接触して得た膨大な情報を、思考が編集・圧縮する。その結果、「世界とはこういうところだ」という世界モデルができる。そして、その世界の中に、「私はこういう人間だ」という自己モデルが置かれる。さらに時間軸が加われば、「私はこういう人生を歩んできた」という自己物語まで作られていく。
人間の中には、もうひとつの「環境」がある
ここまで考えて、気づいた。これはすべて、私の身体の内側に存在している。感情。欲求。記憶。価値判断。世界モデル。自己モデル。自己物語。将来への期待。過去への後悔。まだ起きていないことへの不安。これらをまとめれば、一種の内部環境と呼べるのではないだろうか。すると人間は、外部環境の中に身体を置きながら、内部環境の中にも「私」を置いて生きていることになる。これは、なかなか複雑な生き物である。
会社を辞めても、会社員は身体の中に残っていた
自分自身を振り返ると、この構造がよく分かる。私は60歳で会社員生活を終えた。その瞬間、会社という外部環境は消えた。上司もいない。部下もいない。人事評価もない。昇進もない。毎月の給料もない。しかし、会社員生活を37年以上続けて形成された内部環境は、その日に消えなかった。予定を入れる。目標を設定する。効率を考える。成果を求める。一日を有効活用しようとする。何かを達成すると安心する。外部環境から会社はなくなっているのに、内部では文明OSが以前と同じように動いている。
つまり、外部環境から会社は消えても、内部環境から会社が消えるには時間がかかる。卒サラして丸4年が過ぎ、ようやく「サラリーマンモードが抜けてきた」と感じる理由も、ここにあるのかもしれない。
環境を変えると、自分まで変わる
そう考えると、私が続けてきた二拠点生活も違って見えてくる。東京から箱根へ移動する。かわるのは住所だけではない。音が変わる。景色が変わる。光が変わる。歩き方が変わる。人との接触量が変わる。一日の時間感覚が変わる。身体への刺激が変わる。すると身体状態が変わる。身体状態が変われば、三つのOSの作動状態も変わる。そして思考まで変わってくる。東京にいる自分と、箱根にいる自分。さらにシンガポールにいる自分。同じ人間なのに、少し違う。以前はこれを「気分の違い」くらいに考えていた。しかし、もう少し構造的なのかもしれない。外部環境が変わることで、内部環境まで組み替えられている。だから環境を変えると、自分でも予想していなかった発想が出てくる。
人間は「環境との循環」の中にいる
こう考えていくと、人間を身体だけで理解するのも、脳だけで理解するのも、自己だけで理解するのも難しい。外部環境がある。そこに身体が接触する。進化OS、関係OS、文明OSが作動する。思考がそれを編集する。世界モデルと自己モデルが更新される。そのモデルを使って判断し、行動する。行動すると外部環境が変わる。そして変わった外部環境が、再び身体へ戻ってくる。
つまり、外部環境→身体→3つのOS→思考→世界モデル・自己モデル→判断・行動→外部環境という循環である。人間はどこか一か所に存在しているのではなく、この循環そのものの中を生きているのかもしれない。
だとすると、「心の平静」の作り方も変わってくる
ここが、私には一番興味深い。心が落ち着かないとき、私たちはつい「心を落ち着かせよう」とする。しかし、内部環境だけを直接操作するのは難しい。むしろ、よく眠る。歩く。身体を動かす。自然の中に身を置く。安心できる人と話す。予定を減らす。住む場所を変えてみる。お金の心配を減らす。こうして外部環境と身体状態を整える。すると進化OSの警戒が下がる。関係OSが安心する。文明OSも静かになる。その結果として、思考が静まり、自己への過剰な注意も弱くなる。そして気づけば、心が穏やかになっている。
だとすれば、心の平静とは、意志によって直接作り出すものではなく、内外環境がうまく噛み合ったときに現れる「状態」なのかもしれない。これは、私が考えてきた「状態ファースト」のもう一段深い説明になる。人間は、複雑な外部環境に住んでいる。同時に、複雑な内部環境にも住んでいる。そして、そのふたつは絶えず相互作用している。だから人間をうまく取り扱おうとするなら、「自分の心をどうするか」だけを考えるのでは足りない。
どんな場所に身体を置くのか。
誰と関わるのか。
何を身体に入れるのか。
どんな時間の使い方をするのか。
そして、そこでどのOSが作動しているのか。
人間の取扱説明書とは、案外、「自分をどう変えるか」ではなく、「自分をどんな内外環境に置くか」を理解することなのかもしれない。
【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。昼食(タンタン麺+餃子)-ジム-買物。買物。12人宴席@北参道。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
