言葉と身体

言葉は高速道路、身体はラスト1マイル。

卒サラ後の私は、人間の理解には二種類あることに気づき始めた。ひとつは、頭による理解である。もうひとつは、身体による理解である。

頭は理解が速い。言葉を使い、概念を作り、構造を整理する。「なるほど」と思うまでの速度は驚くほど速い。人類は言語を獲得したことで知識を共有し、文明を発展させてきた。言葉は人類にとって偉大な発明だった。

しかし、その一方で私は不思議なことにも気づいた。頭では理解しているのに、人生が変わらないことがあるのである。例えば、「健康が大切だ」という話を聞けば、多くの人は理解できる。しかし理解したからといって生活が変わるとは限らない。

「睡眠が大切」「運動が大切」「人とのつながりが大切」「自然に触れた方がよい」どれも聞いた瞬間に理解できる。しかし実際に生活を変えるのは難しい。

なぜだろうか。それは、頭の理解と身体の理解が違うからかもしれない。頭の理解は速い。しかし浅い。身体の理解は遅い。しかし深い。

私は家庭菜園を四年以上続けた。最初から「土作りが大切だ」という言葉は知っていた。しかし本当に理解したのは、実際に土を触り、失敗し、季節を繰り返し経験した後だった。

知識として知ることと、身体で分かることは違うのである。

振り返れば、人類は長い間、身体で学んできた。狩猟採集時代には学校も本もなかった。人々は自然の中で生き、身体を通して世界を理解していた。

その後、人類は言語を発達させた。言語は経験を圧縮し、他者へ伝えることを可能にした。危険な場所。安全な食べ物。生きる知恵。本来なら何年もかかる学習を、言葉によって短時間で共有できるようになったのである。

私は、言葉とは高速道路のようなものだと思う。高速道路は目的地の近くまで一気に運んでくれる。しかし最後の目的地には、自分の足で歩かなければ到達できない。その最後の区間が、ラスト1マイルである。

人生において本当に大切なことは、多くの場合、このラスト1マイルの中にある。

安心とは何か。つながりとは何か。自然とは何か。幸せとは何か。それらは言葉で説明できる。しかし説明を聞いただけでは、本当には分からない。実際に体験し、繰り返し味わい、身体が納得して初めて理解になる。

だから私は最近、人は「概念 → 構造 → 体感 → 納得」の順で理解するのではないかと思っている。言葉は概念と構造を教えてくれる。しかし体感と納得は、身体の仕事なのである。

現代社会では、私たちは言葉に囲まれて生きている。本を読む。動画を見る。SNSを見る。知識はどんどん増える。しかし、その一方で身体が置き去りになることもある。

地図ばかり見て、土地を歩かなくなるのである。だから時々、立ち止まることも必要なのかもしれない。新しい知識を増やすことではなく、すでに知っていることを身体で確かめるために。

言葉は高速道路である。しかし人生を本当に変えるのは、最後のラスト1マイルを歩く身体なのだと思う。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。箱根隣人2人とゴルフ(含む、昼食)。夕食。執筆。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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