思考の向き

場所を変えると、思考の矢印が外を向く

シンガポールに滞在していて、ふと気づいた。思考が自分に向かっていない。東京や箱根にいるとき、私は結構いろいろなことを考えている。

これからどう生きるか。
今の生活はこれでいいのか。
身体をどう維持するか。
次に何を書くか。
老後をどう設計するか。

対象は違っても、思考の矢印はかなりの割合で「自分」に向いている。ところがシンガポールでは、それがほとんどない。朝、長男宅を出て歩き始める。運河沿いでは大勢の人が走っている。「なぜ、こんなに走っている人が多いのだろう?」少し歩けば街の雰囲気が変わる。「運河の南側はずいぶん庶民的だな」スーパーに入れば、「日本とは野菜がずいぶん違う」MRTに乗れば、「この路線はいつ造られたのだろう?」夕方の街を歩けば、「そういえば、日本ほど飲み屋が目につかない」人を見れば、「上海で接した中国人と、シンガポールの華人はずいぶん違って感じる」気候についても考える。「24時間、365日、気温の変化が小さい世界で暮らすことは、人間の心にどんな影響を与えるのだろう?」次々と問いが生まれる。しかし面白いことに、その問いの主語は「私」ではない。街、人、気候、交通、食、歴史、文化、社会。思考の矢印が、もっぱら外側へ向いている。

「自己参照モード」と「環境参照モード」

考えてみれば、東京と箱根はすでによく知った世界である。

スーパーも知っている。
道路も知っている。
季節の変化も知っている。
家の使い方も身体が覚えている。

外部環境をいちいち観察しなくても生活できる。すると、余った思考は自分へ戻ってくる。自分 → 自分という「自己参照モード」である。一方、シンガポールでは違う。外へ出るだけで、「これは何だ?」が次々と現れる。自分 → 世界という「環境参照モード」になる。思考能力そのものが変わったわけではない。思考に渡される素材が変わったのだ。

東京・箱根では、自分の経験・記憶・将来→思考→意味づけ、となりりやすい。シンガポールでは、街・人・食・気候・交通→観察→思考→構造化となる。同じ頭なのに、ずいぶん違う。

自分について考えない時間は、意外に軽い

もうひとつ気づいた。思考が外側を向いていると、心が軽い。「この運河はなぜこうなっているのだろう?」という問いには、自分を評価する必要がない。ところが、「これから私はどう生きるべきか?」となると話は違う。答えを出せば、その答えをさらに評価する自分が現れる。「本当にそれでいいのか?」そしてまた考える。自己参照型の思考は、簡単に循環してしまう。世界を観察しているときには、「へえ、そうなのか」で終われる。この差は大きい。

今回は「旅行」ではなく「生活」

今回のシンガポール滞在が面白いのは、ホテルではなく長男宅に滞在していることも大きいと思う。

朝起きる。
散歩する。
スーパーへ行く。
料理する。
洗濯する。
疲れたら戻って休む。
夕方になったら、また外へ出る。

観光名所を効率よく回る必要はない。つまり、生活は安定している。しかし、環境は未知である。この組み合わせが絶妙なのだと思う。生活そのものに不安がないから、未知の環境を警戒する必要もない。その分だけ、「これは何だろう?」という純粋な好奇心を外へ向けられる。

場替えとは、思考の矢印を変えることかもしれない

これまで私は、場所を変えることの効用を「気分転換」程度に考えていた。しかし、もっと大きな作用があるのかもしれない。場所を変える。すると現実が新しくなる。現実が新しくなると、観察が増える。観察が増えると、思考の材料が自分の内側から外側へ移る。

場替え
→ 現実が新しくなる
→ 観察が増える
→ 問いが生まれる
→ 思考が外を向く

という流れである。今回のシンガポールでは、連日2万歩以上歩いている。身体が外へ出ている。すると不思議なことに、思考まで外へ出ていく。歩く → 見る → 違和感を持つ → 問う → AIに投げる → 構造化する → また歩く。この循環が実に面白い。以前から私は、AI時代の「人間の本業」は、現実と出会うことではないかと考えてきた。AIは膨大な情報を処理し、整理し、展開してくれる。しかし、「今日、この運河を歩いていて何か変だと感じた」という最初の一点は、人間の身体から始まる。歩かなければ見えない。見なければ違和感もない。違和感がなければ問いも生まれない。だから人間は現実へ出ていけばいい。そしてAIに、「これ、どういうこと?」と聞けばいい。考えてみれば、ずいぶん面白い時代になった。

今回のシンガポール滞在で感じている開放感は、海外にいるからだけではないのかもしれない。「私はどう生きるか」から、しばらく離れている。そして、「世界はどうできているのだろう?」と眺めている。その視線が、心を軽くしている。場替えとは、場所を変えることではない。思考の矢印を「自分 → 自分」から「自分 → 世界」へ変えることなのかもしれない。

【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。散歩-朝食(麺)-買物-昼食(スープ系)-買物-散歩。昼寝。散歩-夕食(肉系)-買物-散歩。LINE会話2。夕寝。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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