64才からの身体回帰――76歳になっても世界との循環を止めないために
1.64才になって感じ始めた身体の変化
最近、身体の衰えを実感する機会が増えてきた。身体の柔軟性が以前ほどではない。頭で意図した動作に、身体がほんのわずかに遅れて反応するような感覚がある。性的エネルギー、肌の質感、記憶力にも、若い頃との違いを感じる。どれも劇的な変化ではない。日常生活に大きな支障があるわけでもない。しかし、64才になった今、身体という生命体が確実に変化していることを感じる。
これまでの人生では、身体が動くことを当然の前提としていた。仕事をする。海外で暮らす。旅行する。ゴルフをする。人と会う。身体は、私がやりたいことを実現してくれる存在だった。ところが最近、その身体自体に意識が向かうようになった。そして、東京でもジムの会員になり、週5回程度通うようになった。自分でも、かなり大きな変化だと思う。単なる健康志向というより、生活の重心が身体へと戻ってきた感覚がある。
2.思考を突き詰めた結果、身体に戻ってきた
このところ、人間とは何か、自己とは何かについて考えてきた。現在の私の理解では、人間は大きく「身体」と「思考」という二つの側面から捉えられる。思考は、外部世界についてのモデルを構築する。その世界モデルの中には、自分自身についての「自己モデル」も存在する。私たちは、何か確固たる「自己」という実体を持っているというより、身体や記憶、経験を通じて、自分についてのモデルを更新し続けているのではないか。そう考えるようになった。
そして、もうひとつの発見があった。思考は過去を振り返り、未来を想像できる。しかし、身体は常に「今ここ」に存在している。思考の中では30才の自分にも戻れるし、80才の自分を想像することもできる。だが、身体は64歳の現在から逃れることができない。しかも、思考そのものも脳という身体の働きによって成立している。身体は思考を運ぶ乗り物ではなく、思考を成立させ、現実世界と出会うための基盤なのだ。思考を深めた結果、身体の重要性を再発見した。これが最近の身体回帰の、もうひとつの背景だと思う。
3.76歳のフランス人の知人から学んだこと
身体回帰には、もうひとつ大きなきっかけがある。箱根に住む76才のフランス人の知人だ。以前から交流があるが、最近、外出する機会が減り、階段の上り下りも難しくなっている。生活圏が少しずつ縮小しているように見える。私は、小田原と箱根を組み合わせた生活を提案した。小田原なら平坦な場所を歩きやすく、買い物や食事、人との交流の機会も増やせる。箱根とのつながりも維持できる。しかし、本人の反応はあまり積極的ではなかった。もちろん、本人には本人の事情や価値観がある。身体機能の低下についても、外から見て原因を決めつけることはできない。それでも、この交流を通じてひとつのことを強く感じた。身体機能が低下すると、身体機能を維持・回復するために必要な行動そのものが難しくなる場合がある。歩く力が落ちると外出が減る。外出が減ると歩行量が減る。歩行量が減ると、筋力や持久力がさらに低下しやすくなる。人と会う機会も減り、外部世界との接点が少なくなる。すると、外出する意欲そのものも弱まるかもしれない。こうした悪循環に入ってしまうと、本人の意志だけで元に戻すことは難しくなる。これは、身体の老化だけの問題ではない。生活全体の循環が止まり始める問題なのだ。
4.64才と76才。その間の12年間
私は64才。彼は76才。年齢差は12才だ。12年後の自分がどうなっているかは分からない。彼と同じような状態になるとは限らないし、年齢だけで身体機能が決まるわけでもない。しかし、12年という時間が急に現実味を帯びてきた。今の私は、東京と箱根を行き来し、シンガポールにも滞在する。歩き、泳ぎ、ヨガをし、ジムに通い、ゴルフを楽しむ。料理をし、人と会い、考え、書く。これらの活動は、身体が動くことを前提に成立している。では、76才になったときも、同じように世界と接していられるだろうか。身体の老化を止めることはできない。しかし、身体機能の低下を緩やかにし、生活環境を整えることで、行動の自由を長く維持できる可能性はある。そして、そのための準備は、身体が十分に動く今のうちから始めた方がよい。ここで、ひとつの言葉が浮かんだ。64才の身体回帰は、76才になっても世界との循環を止めないための、先行投資なのだ。この言葉は、今の自分の感覚に非常にしっくりくる。
5.身体だけ鍛えても、生活の循環は回らない
では、ジムに週5回通えば十分なのだろうか。もちろん、それだけではない。身体は重要だが、身体だけで人間の生活が成立しているわけではない。私が最近考えている「生活OS」という概念が、ここで重要になってくる。生活OSとは、身体、時間、空間、人間関係などを組み合わせ、望ましい状態が自然に生まれるように生活を設計する仕組みだ。6才からの生活OSでは、特に四つの要素を意識したい。
第一は、運動習慣。歩く、筋力を維持する、柔軟性を保つ、バランス能力を鍛える。ジム、ヨガ、散歩、水泳、ゴルフなどを組み合わせる。重要なのは、一時的に頑張ることではなく、日常の中に運動が組み込まれていることだ。
第二は、おしゃべりの機会。人と会い、話し、笑い、異なる考え方に触れる。おしゃべりは単なる情報交換ではない。他者との関係を維持し、感情を動かし、自分の世界モデルを更新する機会でもある。夫婦の会話に加えて、友人、知人、新しく出会う人との交流を大切にしたい。
第三は、役割。人間には、自分が何らかの役割を果たしているという感覚も重要だと思う。現役時代は、組織が役割を与えてくれた。卒サラ後は、自分で役割を作る必要がある。執筆する。料理を振る舞う。友人の相談に乗る。家族との時間を作る。必ずしも社会的に大きな役割である必要はない。誰かの役に立つこと、何かを生み出すことが、生活に方向性を与えてくれる。
第四は、活動の多様性。同じ場所で、同じ人と、同じことだけを繰り返していると、世界との接点は限定されやすい。東京では文化や人との交流を楽しむ。箱根では自然や身体感覚を大切にする。シンガポールでは異なる都市環境に身を置く。料理、ゴルフ、旅行、執筆など、異なる活動を組み合わせる。活動の多様性は、世界モデルと自己モデルを更新する機会を増やしてくれる。
6.四つの要素が循環を生む
この四つは、それぞれ独立したものではない。相互に作用している。身体が動くから、外出できる。外出するから、人と会える。人と会うから、新しい情報や刺激を得られる。新しい刺激があるから、好奇心が生まれる。好奇心があるから、活動したくなる。活動するから、また身体を使う。この循環が回っている限り、生活は活発であり続ける可能性が高い。逆に、どこかが弱まると、他の要素にも影響が及ぶ。だからこそ、身体、関係、役割、活動の多様性を一体として捉える必要がある。重要なのは、個々の能力を最大化することではなく、生活全体の循環を維持することなのだ。
これは、これまで考えてきた「直線から循環へ」という人生観とも重なる。現役時代は、努力して成果を出し、収入や資産を蓄積するという直線的な発想が中心だった。今は、蓄積したお金や経験を使って、新しい体験や人との関係を生み出すことに価値を感じている。お金も、身体も、人間関係も、蓄積して終わりではない。循環させることで価値が生まれる。
7.意志に頼らず、生活OSで循環を回す
もうひとつ重要なのは、循環を維持するために毎日強い意志を働かせる必要がないようにすることだ。「今日は運動しなければならない」「人と会わなければならない」「新しいことに挑戦しなければならない」こうした義務感だけでは、長く続かない。むしろ、生活の環境や習慣を整えることで、自然に行動が生まれるようにしたい。東京でも箱根でもジムに通える。定期的に人と会う機会がある。執筆という継続的な創造活動がある。異なる環境へ移動する機会がある。そうした生活の仕組みができていれば、毎回ゼロから行動を決断する必要はない。これこそ、生活OSの役割だと思う。そして、忘れてはいけないのが余白である。循環を回すこと自体が目的になり、予定を詰め込みすぎては本末転倒だ。何もしない時間、ぼんやりする時間、静かに身体や心の状態を観察する時間も必要だ。以前から考えてきた「静→動→静」という生活のリズムを大切にしたい。
8.身体が弱っても循環を止めない仕組み
さらに考えると、生活OSにはもう一段の設計が必要だと思う。それは、身体が元気なときだけでなく、身体機能が低下したときにも循環を維持できる仕組みだ。例えば、歩行能力が落ちても外出しやすい住環境。遠出が難しくなっても人と会える関係。体力が落ちても続けられる役割や創造活動。自分ひとりで頑張らなくても、周囲との関係によって生活が動き続ける環境。身体機能を維持する努力と同時に、身体機能が低下しても生活の豊かさを維持できる準備をする。このふたつを組み合わせることが重要なのだろう。76才の知人との交流は、そのことにも気づかせてくれた。
9.64才からの人生は、生活の循環を育てる時間
振り返ると、私は長い間、仕事を中心に人生を組み立ててきた。その後、還暦で卒サラし、生活の自由を手に入れた。そして4年間をかけて、時間、身体、思考、自己、文明、お金について考えてきた。最近は、確固たる自己というものがあるのではなく、身体と思考が相互に作用しながら、世界モデルと自己モデルを更新し続けているのではないかと考えている。その理解が深まるほど、身体の重要性が明確になってきた。そして、76才の知人の姿が、身体の変化と生活の循環との関係を具体的に教えてくれた。今の私に必要なのは、若さを取り戻すことではない。また、老化を恐れて身体の変化を毎日点検することでもない。身体を整え、人と話し、役割を持ち、多様な活動を楽しむ。その循環が自然に回り続ける生活OSを育てることだ。目指すのは、76才になっても、さらにその先も、できるだけ長く世界と出会い続けられること。そして、その過程で世界モデルと自己モデルを更新し、好奇心と創造性を保ち続けること。身体の衰えは避けられない。しかし、生活の循環まで止める必要はない。64才からの身体回帰は、老化への抵抗ではなく、未来の自由への先行投資である。そして、その投資の対象は筋肉だけではない。身体、人間関係、役割、活動の多様性、そして余白。それらをひとつの生活OSとして組み合わせる。結局、私が目指しているのは、これまで繰り返し考えてきた「穏やかで活発な状態」なのだと思う。今日も身体を動かし、人と話し、新しい現実と出会う。そして、静かな時間に、その経験を自分の中に取り込む。
今日も生きていて面白そうだ。
そんな朝を、76才になっても迎えたい。
【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。ジム。昼食。昼寝。思索。大河ドラマ。忘年会企画。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
