「損得勘定」をしているのは誰なのか
人間は、ずいぶん頻繁に損得勘定をしている。この仕事を引き受けた方が得か。この買い物は高いか安いか。この人と付き合うことにはメリットがあるか。いまお金を使うべきか、それとも残しておくべきか。
私自身、長い会社員生活を送り、不動産投資もしてきたので、損得勘定にはかなり慣れていると思う。ところが最近、ふと思った。そもそも「損得」を計算しているのは誰なのだろう。
損得勘定の原型は、生命体にある
人間だけでなく、生き物は常に選択している。近づくか、離れるか。食べるか、食べないか。戦うか、逃げるか。動くか、休むか。その根底にあるのは、おそらく非常に単純な原理だ。生存に有利か、不利か。エネルギーを使ってでも手に入れる価値があるのか。それとも、エネルギーを温存した方がよいのか。そう考えると、「損得勘定」の原型は、ずいぶん古い。頭の中で電卓を叩くよりはるか以前から、生命体は身体全体で損得を判断してきたのだろう。
人間は「まだ起きていない損得」を計算する
ところが、人間には思考がある。目の前にないものまで頭の中に出現させることができる。「あの仕事を引き受けたらどうなるだろう」「この100万円を使ったら、10年後どうなるだろう」「いま断ったら、相手はどう思うだろう」現実にはまだ何も起きていない。それでも思考は、過去の記憶を検索し、自分の持っている世界モデルを使って、未来をシミュレーションする。すると損得勘定は、現在の身体的判断から、未来の仮想世界にまで拡張される。これは人間の強力な能力だと思う。一方で、苦しみを生み出す能力でもある。まだ起きてもいない損を、何度でも頭の中で発生させることができるからだ。
さらに「自己」が入ってくる
話はさらに複雑になる。人間は単に、「自分に利益があるか」を計算しているわけではない。「私はこういう人間だ」という自己モデルを持っている。だから、「こんなことで損をする人間にはなりたくない」「これくらいの資産は持っていたい」「ケチな人間だと思われたくない」「この年齢になって、こんな仕事をする必要があるのか」といった判断が入り込む。ここまで来ると、何が本当の「得」なのか分からなくなってくる。生命体としての自分にとっての得と、自己モデルにとっての得が一致するとは限らないからだ。
そして文明が「共通尺度」を作った
そこへ文明が登場する。特に強力なのが、貨幣だ。食事、家、旅行、服、労働、時間、サービス。本来はまったく異なるものなのに、お金を介すると比較できるようになる。5,000円の食事。100万円の旅行。1億円の不動産。年収2,000万円の仕事。貨幣は、異質な価値を一つの数字に変換する、とてつもなく便利な道具だ。
ところが便利すぎる。いつの間にか、「お金が増える=得」「お金が減る=損」という単純化が起こりやすくなる。でも、本当にそうなのだろうか。
100万円減ることは、本当に「損」なのか
例えば100万円を使ったとする。銀行口座だけを見れば、100万円の損である。しかし、その100万円によって、身体が健康になった。家族との時間が増えた。面白い経験をした。新しい人間関係が生まれた。生活に余白ができた。とすればどうだろう。貨幣という尺度では「-100万円」。しかし生命体としての状態は、むしろ良くなっている。逆もある。100万円増えた。数字としては明らかに「得」である。ところが、そのために長時間働き、身体を壊し、人間関係が悪化し、自由な時間を失ったとしたら、本当に得だったのだろうか。ここに、損得勘定の面白さがある。
損得を計算している主体が複数いる
どうも人間の中には、異なる「損得計算機」が同時に動いているように思える。生命体は、「安心できるか」「快適か」「身体は大丈夫か」と計算する。思考は、「将来どうなるか」「別の選択肢と比べてどうか」とシミュレーションする。自己モデルは、「自分らしいか」
「自分の物語に合っているか」と判断する。文明OSは、「いくらか」「効率的か」「社会的にどう評価されるか」と計算する。問題は、この四つが同じ答えを出すとは限らないことだ。
「これは得か?」の前に
だから最近は、「これは得か、損か」と考える前に、もうひとつ質問を置いた方がよいのではないかと思っている。「いま、誰が損得を計算しているのだろう?」生命体としての私なのか。未来をシミュレーションしている思考なのか。長年かけて作った自己モデルなのか。それとも、社会から取り込んだ文明OSなのか。これだけでも、損得勘定との距離が少し変わる。特に人生後半では、この問いは重要なのかもしれない。
現役時代には、「増える」「上がる」「達成する」という損得勘定が、実際に生活を前へ進める力になった。しかし、人生の局面が変われば、同じ計算式を使い続ける必要はない。蓄えたお金を生活に戻す。時間を身体に戻す。経験を人間関係に戻す。余裕を安心に戻す。すると「得」の意味そのものが変わってくる。蓄積ではなく、循環することが得になる。
損得勘定をなくす必要はない。それは生命体が長い進化の中で獲得し、人間の思考と文明が高度化してきた、大切な機能なのだろう。ただ、その計算機を自動運転させない。「これは本当に損なのか?」そして、「誰にとっての損なのか?」と、ときどき問い直す。それだけで、お金や時間、仕事との付き合い方は、ずいぶん変わってくるような気がしている。
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