内向きを止めない。生活OSを変える。
シンガポールから帰国して東京で2泊。その後、箱根に移動した。箱根の外気温は20度以下。室内も22度程度。静かである。涼しい。落ち着く。ところが、少ししんどい。なぜだろう。シンガポールで一週間生活したことで、これまで気づかなかったことが見えるようになったらしい。注意・関心のベクトルが、内側へ向いているのである。
シンガポールでは、ベクトルが外を向いていた
今回のシンガポールでは、6日間で10万歩ほど歩いた。頑張って歩いたという感覚はあまりない。朝になれば外へ出る。人がいる。街がある。店がある。運河沿いを走っている人がいる。MRTに乗る。知らない街を歩く。腹が減ったら食べる。疲れたら家に戻って昼寝する。夕方になると、また外へ出る。身体の勢いが、一日を通して比較的持続していた。同時に、注意・関心もずっと外を向いていた。「あれは何だろう」「なぜこうなっているのだろう」「日本とは違うな」次々と現実が入ってくる。自分について考える時間が少ない。そして不思議なことに、その状態が心地よかった。
箱根に来て、ベクトルが反転した
箱根は逆である。静かだ。人が少ない。気温も低い。身体の勢いが少し落ちる。外界から入ってくる情報も少ない。すると、注意・関心が余る。人間の頭は、それでも動いている。では、その注意・関心はどこへ向かうのか。一番近くにある対象へ向かう。自分である。自分はどう感じているのか。自分はこれからどうするのか。自分の人生とは何なのか。自分は今、幸せなのか。内省が始まる。私はこれまで、この内省から多くのものを得てきた。だから内向きのベクトルそのものが悪いわけではない。問題は別のところにあった。問題は内向きであることではなく、内向きが過剰になり、長時間固定されること。今回、それを身をもって学んだ。
注意・関心には総量がある?
かなり単純化して、こんなモデルを考えてみた。
注意・関心エネルギー − 外向きベクトル量 = 内向きベクトル量
もちろん、人間の脳が本当にこんな単純な引き算をしているわけではない。あくまで、自分の生活を観察するためのモデルである。しかし、感覚的にはかなり合う。外の世界に面白いことがたくさんあれば、注意・関心は自然に外へ向かう。外からの入力が少なくなると、その分、自分へ向かいやすくなる。ここで重要なことに気づいた。
内向きベクトルを直接減らそうとしてはいけない。
「自分のことを考えすぎないようにしよう」「思考を止めよう」「もっと外向きになろう」そう考えている時点で、すでに自分を見ている。内向きを減らそうとする行為そのものが、内向きなのである。
操作レバーは「外向きベクトル量」
では、どうするのか。今回見つけた答えは単純だった。主として外向きベクトル量を操作する。歩く。外へ出る。人を見る。人と話す。料理をする。ゴルフをする。身体を動かす。誰かのために何かをする。知らない場所へ行く。現実に触れる。すると注意・関心が自然に世界へ向かう。その結果として、自己へ向かっていた注意・関心の割合が下がる。つまり、内向きを止めようとしない、世界との接点を増やすのである。
そして「生活OS」に戻ってきた
ここで、私が卒サラ後ずっと考えてきた「生活OS」とつながった。私は、人間は意志だけで動いているのではないと思っている。
身体、時間、空間、関係。
それらをどう配置するかによって「状態」が生まれ、その状態から意欲や行動が生まれる。だから、自分を直接操作するより、自分という生命体が自然に動く生活OSを作った方がいい。今回、その生活OSにはもう一つ重要な働きがあることに気づいた。生活OSは、注意・関心のベクトルまで変えている。たとえば箱根。静かな空間。低い気温。少ない人。豊かな自然。これは安心や回復には非常に向いている。しかし同時に、外向きベクトルを弱くする生活OSでもある。一方、シンガポール。暖かい。人がいる。街が動いている。歩きやすい。モールがある。運河沿いを人が走っている。次々と外界から入力が入ってくる。これは意識しなくても、外向きベクトルを発生させる生活OSだった。
「外向きになろう」と頑張る必要もない
ここが面白い。外向きベクトルを増やすことさえ、本来は意志で頑張る必要がないのだ。外向きベクトルが自然に発生する生活OSを組めばいい。箱根で内向きになりすぎたら、散歩に出る。ジムへ行く。ゴルフをする。料理をする。人と会う。それでも内向きが続くなら、東京へ移動する。場合によっては、シンガポールへ行く。そう考えると、私が6年以上続けてきた二拠点生活も違って見えてくる。東京と箱根というふたつの住宅を持っているだけではない。自分の状態と注意・関心のベクトルを調整するために、ふたつの生活OSを使い分けていた。そして今回、そこへシンガポールという第三の生活OSが加わった。
内向きと外向きは循環する
もちろん、外向きであり続ければいいわけではない。外の世界を見る。経験する。身体を使う。そして、ときどき自分へ戻る。経験したことを整理する。意味づけする。世界モデルを更新する。自己モデルを更新する。そして、また世界へ出る。
外向き → 内向き → 外向き。これは直線ではなく循環である。内向きには内向きの役割がある。問題なのは、そこで止まってしまうことなのだ。考える。さらに考える。また自分について考える。現実から新しい入力が入ってこないまま、自己モデルだけを編集し続ける。それは、どこかで苦しくなる。だから再び世界へ出る。
顕在意識は「ナビ」でいい
ここでも、以前から考えてきたことに戻ってくる。顕在意識の役割は、自分という生命体を直接動かす司令官ではない。ナビである。内向きになりすぎている。そう気づいたら、「考えるな!」と命令するのではない。外へ出る。環境を変える。身体を動かす。人と会う。生活OSを少し変更する。そして、あとは身体に任せる。私という生命体は、環境に反応して勝手に変わっていく。今回のシンガポール滞在で、私はそれを身体で経験した。そして箱根に戻って、その意味がようやく言葉になった。内向きを直接制御しない。生活OSを整えて、世界との接点を増やす。
当面、この「内向きベクトルの適量」に着目して生活してみようと思う。心の平静とは、ずっと静かでいることではないのかもしれない。世界へ出る。自分へ戻る。そして、また世界へ出る。その循環が滞っていないこと。それくらいが、人間という生命体にはちょうどいいのかもしれない。
【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。ゴミ捨て-市役所-ヨガ-昼食(うどん)-買物-喫茶-ジム。夕食。Line。阪神タイガース観戦(7連敗)。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
