コロナ禍が始まった2020年以来、私は基本的に24時間、妻と同じ空間で生活している。最初の2.5年間は、夫婦ともに100%在宅勤務だった。その後、私は卒サラし、妻は100%在宅勤務を継続中。現在も基本的に拠点移動も一緒に行っている。驚くことに、基本的には同じ空間で過ごしている生活が6.5年間も続いていた。
以前の私なら、「長く一緒にいると会話が増えるのだろう」と考えていたかもしれない。しかし、実際に起きていたのは少し違っていた。振り返ると、私たちは言葉よりも前に、お互いを観察し続けていたのである。
表情のわずかな変化。
歩き方。
声の調子。
生活リズム。
疲れ具合。
安心している雰囲気。
そうした言葉にならない情報を、私たちの身体は毎日受け取り続けていた。ある日、私は妻の微妙な変化を言葉にして伝えたことがあった。
すると妻は少し驚いたように、「よくわかったね。」と言った。その一言が、とても印象に残っている。私は特別な能力を持っているわけではない。ただ、6.5年間という時間の中で、身体が無意識のうちに妻を観察し続け、その変化を感じ取っていたのだろう。そして、その感覚を思考が言葉へと編集しただけなのだ。
この出来事は、私が考えてきた認知の流れとも重なっていた。人間はまず身体を通して現実と出会う。その後で思考が、その体験を言葉や意味へと編集する。私はこれまで、「観察」とは意識的に行うものだと思っていた。しかし、もしかすると人間は、生きているだけで、すでに観察しているのかもしれない。身体は、言葉になる前の世界を受け取り続けている。そして思考は、その膨大な情報の一部を言葉へと翻訳しているにすぎない。
もしそうだとすれば、人間の知性は「考えること」から始まるのではない。現実と出会い、身体が感じ取り、その体験を思考が編集する。その順番こそが、人間という生命体の本来の認知の流れなのではないだろうか。
AI時代になり、思考の編集は少しずつAIが担えるようになってきた。だからこそ、私たち人間に残る最も大切な役割は、編集の前にある「現実と出会うこと」なのかもしれない。6.5年間、妻と同じ空間で暮らしたことは、そのことを静かに教えてくれた。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+ピラティス。朝食。執筆。昼食。執筆。買物。夕食。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
