人間は、朝の半覚醒状態、夜の焚き火状態、散歩状態、入浴状態、単純作業状態のような、「完全覚醒・完全集中ではない時間」で閃きが起こることが多い。なぜか?
おそらくそれは、人間の脳や身体が、「常時集中モード」で統合や創造を行うようには設計されていないからだ。現代文明では、「集中すること」が高く評価される。仕事、勉強、情報処理、問題解決。現代人は、一日の大半を「何かを処理するモード」で過ごしている。そこでは、目的が明確であり、答えを早く出し、効率よく進めることが求められる。いわば、脳の「実行モード」である。もちろん、この能力は文明社会において極めて重要である。しかし一方で、人間には、それとは別のモードも備わっているように思える。
それが、「統合モード」である。統合モードでは、脳は特定の課題に強く集中していない。その代わり、記憶、感情、身体感覚、過去の経験、断片的な情報などが、ゆるやかにつながり始める。顕在意識による強いコントロールが少し緩み、潜在意識側で行われていた処理が浮かび上がってくる。
朝のまどろみで突然問いがつながる。散歩中に考えが整理される。風呂の中で急にアイデアが浮かぶ。単純作業をしている時に、本質的なことに気づく。多くの人が、そのような経験を持っているだろう。これは偶然ではないのかもしれない。
そもそも人類の歴史の大半は、狩猟採集生活だった。そこでは現代のように、常時高集中で机に向かい、情報を処理し続ける生活は存在しなかった。人々は、自然環境の中で身体を動かし、周囲の気配を感じながら生活していた。焚き火を囲み、歩き、待ち、漂い、空を見上げる時間が日常の中に存在していた。
つまり人間は、本来、「余白」のある状態の中で世界と接続していた可能性が高い。現代文明は、常時接続・常時反応・常時生産性を求める。しかし人間OSの深部では、今もなお、「少し緩んだ状態」でこそ動き出す機能が残っているのではないだろうか。
もしそうだとすれば、余白とは単なる休息ではない。それは、人間が本来持っていた「統合する力」を回復させるための重要な時間なのかもしれない。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。移動店舗―知人宅(含む昼食)-ゴミ捨て。執筆。大相撲観戦。夕食。阪神タイガース観戦。就寝。(一言)執筆が波に乗ってきた。苦節3.5年!
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
