モノを整えると、心が切り替わる ― 移動日に見えた「生活OS」
今日は、箱根から東京への移動日である。
二拠点生活をしていると、移動日は少し特殊な一日になる。単に車に荷物を積んで、箱根から東京へ移動するだけではない。
冷蔵庫の中を確認する。洗濯物を片づける。ゴミを処理する。持って帰るものをまとめる。使ったものを元の場所へ戻す。しばらく留守にしてもよい状態に、家を整える。
考えてみれば、私は移動日のたびに、かなり丁寧に「モノ」を整えている。
これまで、それは二拠点生活を維持するための実務だと思っていた。
しかし今朝、ふと思った。
私はモノを整えながら、同時に「心の棚卸し」をしているのではないか。
箱根で過ごした十日あまりの生活を、ひとつずつ畳んでいく。
モノが元の場所へ戻る。
空間が整う。
やり残したことがなくなっていく。
すると不思議なことに、「今回の箱根生活はここまで」という感覚が生まれる。
何か特別な決意をするわけではない。
「さあ、気持ちを東京モードへ切り替えよう」と、自分に言い聞かせるわけでもない。
身体を動かし、モノを整え、空間を整えているうちに、自然に心にもけじめがついているのである。
モノを整える。
空間が整う。
身体が動く。
生活に区切りがつく。
そして、心が切り替わる。
ここまで考えて、私は「生活OS」という言葉を思い出した。
この言葉を使い始めたとき、なぜか私は「ここに何か大切なものがある」と感じた。
生活OSとは、単なる生活習慣ではない。
睡眠、食事、運動といった健康管理だけでもない。
私が考える生活OSとは、人間という生命体が自然に働くための基盤環境である。
身体。
時間。
空間。
関係。
こうしたものが整うことによって、人間という生命体の「状態」が整っていく。
卒サラ後の生活を振り返ると、私はこれをずっと実験してきたように思う。
よく眠る。
身体を動かす。
疲れたら休む。
料理をする。
人と話す。
一人になる。
空間を整える。
そして、東京と箱根を行き来する。
その結果として、以前より心が静かになった。
私は長い間、「心を整える」ためには、心に働きかける必要があると思っていたのかもしれない。
前向きに考える。
悩まないようにする。
気持ちを切り替える。
目標を持つ。
いずれも思考から心へ働きかけようとする方法である。
しかし、順番が逆なのではないか。
心を直接整えようとするのではなく、生活を整える。
身体を整える。
時間を整える。
空間を整える。
関係を整える。
すると生命体としての状態が整い、その結果として心も整っていく。
「人は意志で動くのではなく、状態から動く」
私が『卒サラ@還暦 物語』を書きながらたどり着いた考え方も、頭の中で作り出した理屈ではなかったのだろう。
先に生活があった。
身体があり、日々の小さな体験があった。
思考は、そのあとからやって来て、それらを観察し、言葉にしていった。
そう考えると、「生活OS」という言葉を聞いたときに感じた、「そこに何か真実がある」という感覚の正体も少しわかる。
身体は、すでに知っていたのかもしれない。
思考が理解するよりも先に、身体は、どうすれば自分という生命体が整うのかを、毎日の生活を通して感じ取っていた。
そして私は今、その「言葉になる前の世界」を、一つずつ言葉にしている。
今日の移動日の片づけも、その一つだった。
箱根での生活を畳み、東京での生活を始める。
終わるのではない。
また戻ってくる。
東京での生活もやがて畳み、再び箱根へ向かう。
二拠点生活とは、二つの場所を持つことだけではないのかもしれない。
生活を定期的に畳み、整え、そしてまた始める。
その循環の中に、私にとっての「生活OS」がある。
モノを整えていたつもりが、いつの間にか心まで整っていた。
生活とは、案外そういうものなのかもしれない。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。サイト運営。オイルうがい+白湯+ピラティス。朝食。出版社対応。庭整備。ルンバ清掃。移動準備。昼食。ゴミ捨て-知人宅。箱根峠-夕食(定食)@海老名SA-新中野。阪神タイガース観戦。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
